高齢者福祉施設の「生活の質」と芸術の役割

ブルース・ダーリング

 現在、日本では社会の高齢化が急激に進み、過去に例を見ないほどの強力な政治経

済力をバックに、高齢者はますます良質なサービスを求め出している。高齢者施設

(1)の生活の質の向上は、今や切実な問題だ。

 ここでは、施設入所者の生活の質向上に、芸術が果たす役割を中心に論じてみた

い。芸術は施設の雰囲気を和ませ、地域住民との交流を生み出すこともできる。そう

なれば全国各地の施設がどんなに潤うことだろう。入所者に喜びと満足感を与え、施

設の雰囲気を改善し、高齢者の活動の輪を広げる。このうち一つでも達成できれば、

生活の質はその分向上することになる。まず最初に、「生活の質」という言葉の意味

をはっきりさせておこう。「生活の質(QOL, Quality of Life)とは、健康、社会、心理、

精神各方面を包括した総合的な概念である」(2)。一般的には、個人の幸福や満足度

及び生活環境の状態を表すことが多い。しかし高齢者尊重の観点に立つと, QOLを考えるに

はまず既成の概念を捨て、創造力に富んだ豊かな時期として老いを捉えることが必要

である。

 「生活の質通信」で指摘されているように、人間の成長や学習に年齢制限はないの

である。高齢者にとってのQOLを定義するに当たり、私達は老いに対する従来の推論

を再検討して、本当に理想的な生活とは何なのか、改めて考えてみなくてはならない(3)

 保健福祉が充実し、自己管理(食生活、運動等)も進んできた今日、老人達は60

代で警備員を勤め、70代でスカイダイビングや世界一周に挑戦するかと思えば、

ヌードのデッサンまで含む各種の学芸術講座を受講、80代で重量挙げ、新会社の設

立、本の執筆等をこなすようになった。その活動ぶりは、老人達の創造力と人生への

意欲に比例して、際限なく多様化している。もはや、老人はホームで漫然と隠居生活

を送る存在ではない。大半が若い人同様、積極的に生活を楽しんでいる。保健福祉の

行政担当者はじめ社会全体に、老人達のこのような新しい傾向や、高齢社会の到来、

それに伴う諸変化等について十分認識してもらう必要がある。どの国にも言えること

だが、特に日本、規約ずくめで融通が利かず 、臨機応変の対応が苦手で、前時代の

方策にいつまでも縛られている日本での高齢者福祉を考える上で、重要だと思う。高

齢者とはどのような人であるのか。実体を正しく把握し、過去の認識を改めた上で、

時代に即した方法で福祉に取り組むことが大切だ。さもないと、私達は、高齢者なら

ではのせっかくの経験や知恵を、受け継ぐ機会もないまま、みすみす無駄にしてしま

うことになる。もちろん、日本の学識者や社会評論家達は、高齢社会の福祉を論じる

に当たって、こうした点に着目し改善を呼びかけてきた。

 ただ、改善の必要性が論議されてはいるが、残念ながら理念と現実の間には、未だ

に大きな開きがあるようである。(種々の原因が考えられるが、ここでは予算上の問

題、医療と福祉の分化、行政の遅れを挙げておこう。)筆者は日本各地で新旧の高齢

者施設を視察した結果、従来型の施設が根強く残っていることに気付かされた。確か

に改善の動きも見られるのだが、大半が、どうしようもなく行き詰まるまで放ってお

かれた感がある。身の回りのことが完全にこなせないというだけで、老人を病人扱い

にしたり、幼稚園児対象のようなプログラムでホームを運営するのは止めなくてはな

らない。老人をこのような施設に押し込め、死ぬまでひたすら我慢を強いるのは、あ

まりに残酷である。もっともっと高度の「生活の質」が保証されて、当然なのだ。こ

れは年齢に関係なく、全ての人に言えることである。

 この点でさらに前進するために、芸術が高齢者施設の生活の質をいかに高めている

か、もう数十年もこの問題に取り組んでいる北アメリカやヨーロッパの例を中心に詳

しく見ていきたい。筆者の専門は美術史である。新分野の研究に当たり、まず最近の

PBSの、ある老人ホーム特集のレポートを基に芸術と施設の関わりを紹介しよう。こ

のリヴァーデールのヘブルー老人ホーム(4)は、アメリカ美術館協会から美術館と

しても公式に認定されていて、アトリエの活動も行っている。

 ビデオ等、この施設の資料を見ると、高齢者の生活に芸術が果たす役割について、

ますます興味を覚えずにいられない。ヘブルー・ホームのホームページには「ホーム

の芸術」というタイトルで、テキスト、写真、ビデオ、オーディオで芸術と高齢者福

祉へのホームの取り組み、いわゆる「介護の芸術」を紹介したコーナーがある。以下

に、そのホームページの一部を引用してみよう。


介護対象者の一人一人に十分な福祉が与えられなくてはならない。対象者 の潜在能力を最大限に引き出すためには、質の高い介護が必須である。これが ヘブルー・ホームの「介護の芸術」の理念である。当事業の要となる「生活の 質」は、専門技術や創造力、老人達への思いやりの心を持って、知性、社会性、 娯楽、芸術等を追求することで達成できる(5)

 このため、ヘブルー・ホームの所蔵美術品、創作芸術の多彩なプログラム、展覧

会、講議、実技演習、外部からの参観受け入れなどはすべて、入所者やスタッフ、訪

問客が積極的に参加することをねらいとしている。ホームの屋内外の美術品は、入所

者の感情や必要性を考慮すると同時に、建物や庭園への美的効果にも心を配って、慎

重に設置の位置が決められている。


(入所者に最大限の生活の質を供給しようとする)ホームの柱は「介護の芸術」 で、生活の中の美は見るものの気分を引き立たせ幸福を生み出し、世界を広げる ものだというのがその理念の一つである。芸術はまた、老人達の記憶を呼び覚ま し、ヘブルー・ホームの入所者、職員、訪問客を、世代を越えて結ぶ架け橋と なっている(6)

ESTAElders Share the Arts=高齢者へも芸術を)という「ホーム内外の高齢者と

地域住民のための地域芸術団体(在ブルックリン、NY)」の会長、スーザン・パール

スタインは、ヘブルー・ホームの芸術及び入所老人に対する取り組みを高く評価して

いる。氏は「真の介護:なぜ保健福祉に芸術が必要なのか」(7)と題した論文の中

で、アメリカの成人福祉施設(一般老人ホーム、デイケアセンター、特別養護老人

ホーム、末期患者対象の病院やホスピス)では加齢が病気視され、自然なプロセスと

受け止められていないことを批判している。社会福祉より医療面に、個人の人格よ

り、抱えている病気の方に関心が傾きがちだというのだ。個人のことを考えながら地

域内で「ゆりかごから墓場まで」の福祉実現に努め、住民の心身両面のニーズに応え

るシステムであるべきだと、パールスタインは訴える。さらに、芸術を取り入れたプ

ログラムは個人の様々な面に係わることができるだけに、高齢者福祉の社会的取り組

みには、芸術が大切な役割を担っていると言う。

 パールスタインに依ると, ESTAの プログラムは人の輪を広げ生き甲斐を生み出

し、老人に誇りを持たせることができる。氏は特に、マンハッタンのイースト・ハー

レム(エル・バリオ)のプログラムとクイーンズの長期療養施設、聖アルバン・VA・

病院について触れている。両者とも、施設と地域が一体となって、壁画や音楽、ダン

ス、執筆活動を行う。その上、こうした若者と老人の世代を越えた交流が、地域住民

の関係をスムーズにし、連帯感をもたらしてくれる。例えば「未来に遺す作品」では

「高齢者の思い出話をまとめて芸術作品を生み出すのがねらいだ。ESTAの熟練スタ

ッフの手助けで,一老人の思い出が親戚、友人に遺す回想記、コラージュ、録音

テープとなって生まれ変わるのである。」画家の描いた高齢者の肖像画や、高齢者が

特別の思い入れで選んだ像や絵画作品もあって構わない。こんな活動なら、病弱な

老人でも参加することができる。ESTAにはまた、老人をインタビュウして思い出話

を聞き出し、老人が自伝等を執筆する手助けができるようにと、十代の青少年を訓練する

プログラムもある。ここの老人達は、今では地域の為になくてはならない存在だ。青少年

の方でも、老人の体験について学ぶことで、自分達の人生の指針を受けることができる。

 北アメリカやヨーロッパの高齢者施設では痴呆症、鬱病、激越、パーキンソン病、

アルツハイマー症を患う入所者に、いろいろな療法を試みるのが普通だ。その際、娯

楽性のある療法を取り入れると、患者に適度の刺激を与え、他人に心を開くきっかけ

を生み出せることが、研究で分かってきた(8)。芸術が本領を発揮するのは、まさ

にここなのである。その上、芸術は、高齢者教育、娯楽療法、自己尊敬の活動

(自己回復活動)としての役割も果たす。日本には本格的なホスピスの機能を備えた

高齢者施設はまだないようだが、ホスピスにおいても、音楽や芸術は介護や食事と

同じくらい大切なサービスを提供することができる。アンドレア・シャーマンの

挙げているコネチカット・ホスピス・プログラムは、その好例だ。ここでは行政の

福祉計画の一環として、ホスピス用芸術プログラムが確立されている。


ここのプログラムは、死は誕生と同様、人間の自然な営みであるという考え に基づいて作られている。このホスピスでは従来の芸術療法と違い、芸術は 純粋に芸術として教えられる。ここで生み出される作品は、特別な意味を 持っている。患者達は各人の能力を生かして制作に当たるため、死期の 迫った人達も何かしら「自分を思いだしてもらえるものを後に遺す」こと ができる。つまり心の遺産である(9)

 80代のジョン・エングルハートは、芸術の力で魂を開くことができるという驚く

べき例である。彼には精神分裂症と失語症があり、11歳から精神病院で入院生活を

送ってきた。精神薄弱と診断され、ソラジンを大量に投与されていた彼は、15年以

上も一言も言葉を発しなかった。老人ホームでヴォランティアをしていた音楽家のア

ン・ワッツが、音楽と絵で、そんな彼の世界を広げたのである。1986年、アン・

ワッツは初対面の彼に紙とフェルトペンを渡した。すると彼は風車の絵を細部まで描

き、さらに「風車」という言葉まで口にしたのだ。その後は堰を切ったように、夥し

い素描や彩色画の作品が彼の手で生み出されていった。言葉もまた発達した。やがて

画家として認められるようになり、バルチモアで個展を開き、作品に買い手が付くま

でになった。彼は、1992年に85歳で没した。

 このジョン・エングルハートとの体験から、アン・ワッツはメリディアン保健福祉

協会に一つのプロジェクトを提案した。バルチモアの芸術家グループに「芸術を、普

段芸術と縁の薄い場所に提供してもらう」、つまりアルツハイマー患者の養護老人

ホームに芸術を導入することを提案したのだ。ここでもまた、ワッツが推進しようと

していたのは、従来の芸術療法ではなかった。経験豊かな芸術家仲間に呼びかけ、

ホーム老人の一人一人に付き添って一緒に作品を作ってもらう。芸術のどの分野をや

るかは、老人達の自由選択とする。個性的な若い芸術家仲間は、意外にもホーム老人

達と意気投合した。老人達はやがて、自ら記憶を掘り起こすようになり、そのことで

疲労を忘れ、不安を紛らわすようになってきた。若い芸術家達の方でも、こうした出

会いで老人の内奥に触れ、人間とは何なのか改めて考えることで、多くを学んだ。高

齢者は身体的にも精神的にも余りに低く評価され過ぎているというのが、この芸術家

グループの達した結論の一つである(10)

 さて、高齢者の生活の質に芸術がいかに関わっているか、ここまで主にアメリカの

例を紹介してきた。一つには、今回の短期の調査研究において、筆者が得た情報は圧

倒的にインターネットによるアメリカのものが多かったからである。とはいえ、芸術

の役割はヨーロッパでも広く認識、評価されている。ロンドンのイースト・エンドに

あるナイチンゲール・ハウスには優れた芸術工芸センターが設けてあるし、スイスの

アトリエ付きホームやスエーデンの織機を備えたホームは有名である。フランス、ド

イツ、デンマークにも同様のホームがある。これらのホームは共通して、治療や介護

の過程で芸術活動を優先し、それにより入所者に最高の生活の質を与えることを目標

としている。日本の高齢社会対策の遅れは、高齢者福祉施設やその活動方法が、欧米

諸国より遅れていることを意味する。一方で、遅れて出発する分、福祉先進国が初期

に起こした間違いや誤解を繰り返さずに済むという利点もある。北アメリカやヨー

ロッパの優れた福祉施設や介護プログラムは、介護現場のニーズに応じて、何十年も

かけて少しずつ改善されてきたものである。ゆえに、例え文化の違いはあっても、日

本は是非ともそのような施設やプログラムを詳しく研究して、それを基に自国に適し

た高齢者福祉を確立し、老人達に最高の生活の質を供給しなくてはならない。

 今のところ、まだなかなかそこまで行かないのが、実状のようだ。しかし、数こそ

少ないが、日本でもいくつかのホームで、生活の質を高めるために芸術を用いている

ことを特記しておきたい。北海道から九州まで、こうしたホームは広域に点在してい

る。中でも特に目を引く2施設を紹介しておこう。一つはフィリップ・グロード

(Philippe Gourraud)神父の運営する函館の「旭が岡の家」である。厚生大臣はじめ、

この高齢者施設を視察した人達の多くが、こんな施設を十年計画で日本中に増やせたら

と嘆息する(11)

 グロード神父は1972年に旭が岡の家を建てて以来、日本の高齢者の生活の質改

善に取り組んできた。高齢者施設は美と慰安とエレガンスの場、つまり「人生最高の

バカンス」の場であるべきだというのが、神父の持論だ。旭が岡の家は、津軽海峡に

突き出す函館山を望む丘の上にある。神父はこのホームに、人間性と平均的な日本家

庭の味を出すことに努めている。入所者に最高の生活の質を提供するには、個室は欠

かせないという。ここではどの部屋の窓からも、周囲の自然景観を見渡すことができ

る。玄関と二階ホールの明るい広々としたスペースには、暖炉の前に安楽椅子が並ん

でいる。訪問客とお茶を飲みながらおしゃべりを楽しめるレストランや喫茶店、女性

が化粧する部屋もある。廊下の壁には常に入所者やスタッフ等の描いた絵が飾られ、

展覧会用の特別なスペースまである。大きなアトリエは、制作や展示に使われるほ

か、毎月の社交ダンスの集いもここで開かれる。グールド神父はスエーデン、スイ

ス、アメリカ、カナダ、フランス等で老人福祉に芸術が大きな役割を果たしているの

を見て、高齢者福祉施設は、地域の人々が交流する文化センターの役目も担うべきだ

と思うようになった。入居者を一個の人格として尊重するなら、無理やり型にはめた

り、一方的に何かを押しつけたりすることはできないはずだ。旭が岡の家には音楽、

美術等18のクラブがあり、入所者は自由に好きなクラブに参加できる。例えば、陶

芸、七宝焼き、刺繍、絵画、織物、貼り絵、生け花、社交ダンス等、それぞれ定期的

に専門家が指導することになっている。コーラス・グループもある。高齢者施設は地

域住民にも開かれた施設であるべきだというのが、グールド神父の持論だ。そのた

め、クラブには地域の高齢者も歓迎する。これにより社会的な交流の輪が広がり、地

域老人にも施設のスタッフに悩み等を相談する機会が与えられる。

 もちろん、施設内でこうした芸術活動を続けるには経費がかかるし、専門家にも来

てもらわないといけない。神父は寄付金やヴォランティアの助けを借りて、実施に取

り組んできた。老人福祉はいかにあるべきかという神父の考えは、その人情味豊かな

視点が多数の共感を呼び、そうした人々が力を貸してくれているのである(12)

 鹿児島で吉井敦子が運営する加世田アルテンハイムも、旭が岡の家と同様、芸術に

力を注いでいる(13)。開園は1988年だが、吉井はその前に、全国の先進施設

といわれるホームをいくつか見学した。しかしどの施設も部屋は閉鎖的で、外の景色

を楽しむこともできず、ベッドに寝たきりの老人がじっと天井を見つめている。先進

施設とは名ばかりであることを痛感させられた。吉井は絵でいっぱいの、ユニークな

老人ホームを作りたいと思った。夫である画家の吉井淳二が、全面的に支援してくれ

た。今日、加世田アルテンハイムには、吉井画伯の美術館が併設されている。開園当

時、多くの人々が視察に訪れた。ベテランとおぼしき、ある施設長が言った。「絵な

んか、ぼけた人には分かりません。傷つけられますよ。」重度の痴呆老人の個室に

は、少しでも雰囲気を明るくとレースのカーテンを掛けたが、それを見た別の施設長

は「すぐ破られますね」と言った。しかし、精神科医が励ましてくれた。「人間は痴

呆になっても、優しさや美しいものは感じ取ることができます。それを信じてお年寄

りに接して下さい。」

 台所には、「家族」と題した油絵の大作を掛けた。幼子を抱いた母親等、家族を描

いたものだ。ある時期、少し痴呆のある老女が、いつもこの絵の近くで食事をしてい

た。この絵が好きなのか尋ねると、老女は、絵の中の人物を指しながら答えた。「姉

に似ている。」この老女は、数年前、91歳で亡くなった。吉井園長は、絵を取り替

える気にならない。こうした絵が、入所老人には何の意味も持たないとは、吉井には

とても思えないのだ。壁に絵があるだけで、ホームの雰囲気は明るくなり、老人達の

心を和ませる(14)

 日本の老人ホームでのさまざまな芸術プログラムは、日本で何ができるかを、私達

に示してくれる。国や文化の違いを越えて、こうした取り組みが可能であることも教

えてくれる。今日、日本中の高齢者施設で、福祉プログラムに、芸術がますます多く

取り入れられるようになってきている。絵画等で飾られた壁面、音楽、ダンス、演

劇、工芸教室や講習会、展覧会等々。もはや、場所がない、予算が足りない、人手が

ない、痴呆老人に絵が分かるはずがないといった昔ながらの言い訳は、ただの言い訳

でしか過ぎなくなった。人生を潤わせるこうしたプログラムの遂行を阻んでいるの

は、むしろ、創造力ややる気の欠落、それに根強いお役所気質ではないだろうか。

 最後に、ソーシャル・プランナーや政治家、高齢者施設長に、是非、頭に入れてお

いてもらいたいことがある。2020年までに、日本は、総人口の三分の一(31

%)が65歳以上という、世界一(ヨーロッパでは約24%、アメリカでは23%)

の高齢社会になるという事実だ。しかも、これからの高齢者は、傾向がかなり違って

来る。裕福で情報に通じ、国際感覚を備え、健康で、消費者として自分の意見、要望

をはっきり主張し、施設選択に当たっては納得するまで慎重に検討し、経済力、社会

力、政治力、いずれにおいても、今の老人より遙かに大きな力を備えているはずだ。

こうした情況では、入居者より職員の便宜を第一に考え、横柄で思いやりに欠け、マ

ンネリ化した従来のお粗末な施設は、もはや成り立たなくなる。高齢者は、思考力や

感覚を刺激し想像力や創作意欲をかき立ててくれるような環境で、余生を送りたいと

願い始めている。是非とも、この期待に応える施設でなくてはならない。来る高齢社

会や新傾向の高齢者達の出現に備えて、施設の質を改善することが、最重要の課題で

ある。


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