朝日新聞 2003年6月19日

私の視点:高齢化社会|芸術組み入れ楽しく豊かにs


ブルース・ダーリング |Bruce DARLING (九州保健福祉大学教授)

 4年前、美術史家として現在の大学に赴任してきて間もないころ、同僚の先生が老人 ホームなど、いくつかの高齢者施設に連れて行ってくれた。都市部や農村部の、新旧 さまざまな施設を見せてもらっているうちに、だんだん気が滅入ってきた。「こういう ところには入りたくない」と何度もつぶやいていた。  外見上いくら立派な新築の建物でも、内部は経営者の視点からの機能性だけを重視 した無機質の室内環境だった。カーテンから家具に至るまですべて統一されていて、入居者が 自分の使い慣れたものを持ち込んで、「自分の部屋」をつくることなど、まず許されていない。 つまり、施設に入居する時点で、これまでの自分の生活ばかりか、物を介した記憶(思い出) からも突然、断絶されてしまうのだ。  美しい建築空間がもつ癒やしの効果など配慮されていない。玄関や共有空間に彫刻 や絵や写真はほとんどない。裸の壁に天井に取り付けられた蛍光灯。施設の中に芸術プロ グラムがかりにあったとしても、ちょっとした課外活動程度のことだ。要するに生活 のなかに芸術を取り入れるという発想がほとんど感じられなかった。  入居者は、高齢者としての尊厳が顧みられないばかりか、まるで幼稚園の子どもの ように扱われている場面にも出会いショックを受けた。  何故だろう。人生の晩期に最も心地よく住める居場所はつくれないものだろ うか。豊かな高齢社会を築くために、芸術の持つ役割は大きいはずだ。世界の実情を 調べてみようと思いたった。  欧米先進諸国ではこの3、4年、健康・介護(ヘルス・ケア)の分野に芸術や人文 科学を導入する動きが高まっている。絵を描き、音楽を聴き、ダンスをし、本を読み、時事 問題について議論する。こうした運動を促進するための政府機関や民間組織が設立さ れている。例えば、「創造性のある加齢化センター」(米国)「ヘルス・ケアにおける芸 術連絡網」(英国)「文化と健康のための北欧協会」(スウェーデン)などである。    スウェーデンの高齢者施設で行われている「記憶ランドスケープ・プロジェク ト」は、老人が介護者と一緒に話し合たり、絵を見たり、音楽を聞たりすることによっ て、自分の一生を思い出すということで、おもしろい。ほかに、ドイツ・フランクフ ルトの「コミュニティー計画」では、老人が学生らと一緒に中央市場の壁に絵を描いている。 このようなプロジェクトに参加した高齢者は、笑顔を見せ、よく眠り、食欲が増し、 薬が減り、社交性が高まる、などの効果が出ていると現場で芸術と健康・介護に携わ っている人達は報告している。こうした変化を見て、家族は「(もとの)本人が戻っ た」と言うし、現場で働く人達の転職も少なくなる。 日本にも好例がある。たんぽぽの家(奈良市)が1999年に発行した『高齢 者施設における芸術文化活動の導入とその効果について(報告書)』などは参考にな る。ここには絵画、演劇、語り、音楽などを導入している高齢者施設が紹介されている。そ の他、20ぐらいの芸術プログラムを実践している旭ヶ丘の家(函館市)も好例であろう。  日本は、世界一の高齢社会に突入する。行政や高齢者施設の経営、建設に携わる人 に「生活の質」について考えてもらいたい。欧米の芸術プログラムを視察するのもい い。日本の先駆的な試みを参考にするのもいいだろう。医療や介護は施設や仕組みをつくればこと 足れりというものではない。いかにして楽しく生きる場をつくるか。その際、絵画や音楽など芸術 プログラムを組み込む発想が重要だ。

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